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ポケベル廃止 [メディア・ニュース・国際情勢]

「ポケットベル」のサービスがきょう限りで終了するとのこと。
20年以上ポケベルを使った身としては、寂しいというか、「一つの時代が終わった」という感じです。

最初にポケベルを持たされたのは、20年以上前、当時の勤め先の会社で神戸に転勤して、事件記者(「サツ回り」)になったときでした。

当時は、呼び出しがあると「ピーッ、ピーッ」と電子音が鳴り、赤い小さなランプが点滅するだけで、あらかじめ決めてある番号(東京の本社や神戸の事務所など)に電話するしかありませんでした。

まもなく、「デュアルナンバー」(呼び名は違ったかも)が登場し、2種類の音を発するようになりました。
音の鳴り方によって、誰が呼んでいるか判断できるようになり、何ヵ所も電話をかける必要がなくなりました。
兵庫県警の広報課にもポケベルの番号を教え、「当番」の時間帯も外出しやすくなりました。

その後赴任したエジプトでは普及していなかったので持っていませんでしたが、帰国後は社会部に所属したので、またもやポケベルのお世話になりました。
そのころは、番号表示ができるようになっていたかもしれません。

と、このころまでは、携帯電話は存在しないか、あっても持っていなかったので、呼ばれたら公衆電話を探して掛けるのが普通でした。

テレホンカードが出現するまでは、10円玉を常にたくさん持ち歩くか、東京に掛ける時はコレクトコールを使っていました。

1990年代の北京時代は、携帯電話(最初は結構デカイやつ)を持ちながらも、ポケベルも持っていました。
携帯のつながり方が全面的に信頼できなかったためです。
中国のポケベルも、数字を入れられたのですが、中国語の指示に従って操作する必要があったので、日本から掛ける人には難しかったようです。

日本に帰国後も、会社からはポケベルを持たされていました。
(携帯電話は個人で購入)

2001年9月のアメリカ同時多発テロも、会社からポケベルを鳴らされ、電話してテレビをつけ知りました。


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青沢東(QMY)

多分私がポケベルを持たされたのは1995年。今のダンナと付き合っていたころ、あまりにも私が仕事のせいで約束の時間に遅れるものだから、連絡手段として持たされてしまいました。当時はカタカナしか送れないし、1度に6文字しか送れないので、何度も何度も公衆電話からメッセージを伝えていたように思います。「シゴトオソイ」「2ジカンゴ」「アンカーデ」「マチアワセ」「OKデスカ?」みたいな(笑)。
by 青沢東(QMY) (2007-04-01 12:41) 

私がポケベルを持っていたのは高校性の頃です。
カタカナで50文字まで大丈夫でしたが、
公衆電話から送信するときに
遅い人は50文字で20円取られてました。
私は、公衆電話でいかに早く文字を打って
10円で送信するかに命をかけてました(笑)
by (2007-04-01 18:24) 

Lionbass

青沢東さま
コメントありがとうございます。
95年というとつい最近のような気がしますが、12年も前の話ですね。
相変わらず「ごちそうさま」ですが…。

kkさま
当時は、学校の中の公衆電話に列ができたりしたらしいですね。
記者をしていたころは、仕事のためにテレホンカードが必需品でした。
公衆電話の台数は多かったですしね…。
by Lionbass (2007-04-06 09:57) 

ポケベル

身体王決定戦
by ポケベル (2007-10-10 18:39) 

思い出しますポケベル

僕はポケベルで色々やりました。
アドレスは僕の母校です。
横浜市立上永谷中学校です。
テレホンカードはすぐなくなってしまいますよね!
by 思い出しますポケベル (2007-10-10 18:42) 

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