「攘夷の韓国 開国の日本」 [読書]
▼読み終わった本
*「攘夷の韓国 開国の日本」
呉善花・著、文藝春秋
【帯紹介】
******************************
古代日本に文化を伝えたのは
韓半島からの渡来人だ
—————————————————————
だから、どうだというのか
******************************
「スカートの風」↓など、日本と韓国の関わりについて考える本を著してきた呉善花(オ・ソンファ)氏の12年前の本です。
タイトルや帯の紹介文はやや挑発的ですが、中身は、古代の「渡来人」と、韓国から日本にやってきて十数年住んでいる自分の境遇を重ね合わせ、渡来人が古代の日本で果たした役割について考察するもの。
呉氏は、この本の中で、「渡来人がたどる心のプロセス」として、次のように書いています。
(1)渡来——故郷を離れて日本に渡り最初に出会った日本の土地と人の印象が原イメージとして残る。
(2)さすらい——いまだ宙に浮いたままの脚が落ち着き先を求めて彷徨い、一定の定住を果たすまでの、あてどのなさ。
(3)日本化——地域で生活する中でしだいに日本的な間隔や考え方が身についていく段階での、「自分は何人か」というアイデンティティへの問い。
(4)土着——地域の人々と共通の意識をもって、いわば溶けこむようにして行きていられる状態での、渡来人意識の消失と先祖の記憶。
呉氏は、このような考察をしながら、古代の渡来人の足跡が残されている(とされる)日本各地に足を運んでいます。
それは、飛鳥(法隆寺や百済観音)、北九州(福岡や大分)、出雲、そして相模・武蔵(大磯や埼玉)です。
これら「渡来人」にまつわる伝説・言い伝えが残されている土地をめぐり、ときには神社に参拝しながら、故郷の済州島にも心を馳せ、日本と韓国(朝鮮半島)の関わり・つながりについて、考察していく中で、呉氏は自らのアイデンティティを問いなおし、”定義”しなおしているのだと思いました。
▽購入した本
*「韓国人の発想―コリアン・パワーの表と裏」
黒田勝弘・著、徳間書店
*「攘夷の韓国 開国の日本」
呉善花・著、文藝春秋
【帯紹介】
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古代日本に文化を伝えたのは
韓半島からの渡来人だ
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だから、どうだというのか
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「スカートの風」↓など、日本と韓国の関わりについて考える本を著してきた呉善花(オ・ソンファ)氏の12年前の本です。
タイトルや帯の紹介文はやや挑発的ですが、中身は、古代の「渡来人」と、韓国から日本にやってきて十数年住んでいる自分の境遇を重ね合わせ、渡来人が古代の日本で果たした役割について考察するもの。
呉氏は、この本の中で、「渡来人がたどる心のプロセス」として、次のように書いています。
(1)渡来——故郷を離れて日本に渡り最初に出会った日本の土地と人の印象が原イメージとして残る。
(2)さすらい——いまだ宙に浮いたままの脚が落ち着き先を求めて彷徨い、一定の定住を果たすまでの、あてどのなさ。
(3)日本化——地域で生活する中でしだいに日本的な間隔や考え方が身についていく段階での、「自分は何人か」というアイデンティティへの問い。
(4)土着——地域の人々と共通の意識をもって、いわば溶けこむようにして行きていられる状態での、渡来人意識の消失と先祖の記憶。
呉氏は、このような考察をしながら、古代の渡来人の足跡が残されている(とされる)日本各地に足を運んでいます。
それは、飛鳥(法隆寺や百済観音)、北九州(福岡や大分)、出雲、そして相模・武蔵(大磯や埼玉)です。
これら「渡来人」にまつわる伝説・言い伝えが残されている土地をめぐり、ときには神社に参拝しながら、故郷の済州島にも心を馳せ、日本と韓国(朝鮮半島)の関わり・つながりについて、考察していく中で、呉氏は自らのアイデンティティを問いなおし、”定義”しなおしているのだと思いました。
▽購入した本
*「韓国人の発想―コリアン・パワーの表と裏」
黒田勝弘・著、徳間書店
この手の書籍の帯は挑発的なものが多々ありますね。
韓国のあれこれが興味のある私には ちょっと 色々と考えさせられます。
by kurumi (2008-07-06 23:26)
kurumiさま
コメントありがとうございます。
呉善花さんは、韓国では「親日派」として非難を受けたりしているそうです。
客観的な立場で日韓関係を論ずるのはなかなか難しいと、改めて思いました。
by Lionbass (2008-07-08 22:57)