伊福部昭氏死去、「メディアの支配者」 [音楽・楽器]
作曲家の伊福部昭氏が亡くなられたとのニュース、ネットでは「ゴジラ作曲家死去」などの見出しが多いようです。
二十年以上前、芥川也寸志氏率いる新交響楽団に入っていたので、伊福部さんの曲を演奏した覚えがあります。(何の曲だったか忘れましたが…。)
ところで、『「マホメット」か「ムハンマド」か』のところで書こうかと思ったのですが、アラビア語について説明すると驚かれるのが、「母音が3つしかない」ということです。
日本語にあてはめると、「い」と「え」、「う」と「お」がそれぞれ同じ母音として認識・表記されます。ということは、例えば「うえの」と「おいぬ」は同じ言葉だし、「ムハンマド」も「モハンマド」も同じということになります。
こう説明しますと、「そんなに母音が少なくて問題ないのか」と思われる方もいらっしゃると思います。
しかし、実は日本語の「母音が5つ」というのも、決して多い方ではないはずです。
英語であれ韓国語であれ、多くの言語では、母音の種類はもっとたくさんあります。
英語の場合、"Hertz"(レンタカー会社の名前)と"hearts"(心臓の複数形)は、日本語で表記するといずれも「ハーツ」になりますが、原語で発音する場合、母音は相当違うわけです。
(昔、初めてアメリカに旅行して、レンタカーを借りる際、"Hertz"と発音したつもりが通じなくて聞き返され、ちょっぴり恥ずかしい思いをしたことがあります。)
母音というのは、口の開け方によって音が変わってくるわけですが、はっきりと分ける基準があるわけではなく、それぞれの言語で「人工的」に「分類」しているに過ぎません。
逆に言うと、微妙な「境界線」の発音については、どちらかの音として認識する、ということになります。(このような「音韻体系」は3歳くらいまでに形づくられると聞いたことがあります。)
結論になかなかたどり着かないので強引にまとめますと、それぞれの言語には、それぞれの音韻体系があり、それに基づいて語彙が形成されるので、母音の多い・少ないは必ずしも問題ではない、ということになろうかと思います。
▼読み終わった本
*「メディアの支配者」(上)(下)
中川一徳・著、講談社
ここ数日、ハードカバー上下の本と格闘しておりました。
感想は控えておきます。(私の勤め先をご存じの方にはお分かりかと…。)
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