「ザビエルの見た日本」 [読書]
▼読み終わった本
*「ザビエルの見た日本」
ピーター・ミルワード・著、松本たま・訳、講談社学術文庫
フランシスコ・ザビエルが日本に来る前後にイエズス会宛などに送った書簡集。
本文は180ページほどの、こじんまりとした本ですが、なかなか興味深い内容でした。
日本人について「知識欲が旺盛である」とか「他の国々の人々より優れている」などと書き記し、キリスト教の伝道にふさわしい国だと繰り返し述べています。
また、寒さや食料の乏しさなどに苦しんだことや、当時の仏教諸派の僧侶らと対立したことなど、ザビエルの暮らしぶりなども知ることができました。
ちなみに、以下は自分自身のおさらいのために書きますが。
フランシスコ・ザビエルは1506年生まれ。
パリなどで勉強したあと、イエズス会に所属し、1542年にインド(ゴア)へ。
1547年にマラッカで日本人と会い、日本行きの決意をし、49年8月に鹿児島に上陸しました。
その後、平戸、大分、山口などに滞在し、京都や比叡山も訪れています。
1551年には日本を離れ、ゴアやマラッカを訪問したあと、中国南部の島で病気にかかり死亡したということです。
勉強になりました。
▽購入した本
*「夢見る黄金地球儀 」
海堂尊・著、東京創元社
*「ザビエルの見た日本」
ピーター・ミルワード・著、松本たま・訳、講談社学術文庫
フランシスコ・ザビエルが日本に来る前後にイエズス会宛などに送った書簡集。
本文は180ページほどの、こじんまりとした本ですが、なかなか興味深い内容でした。
日本人について「知識欲が旺盛である」とか「他の国々の人々より優れている」などと書き記し、キリスト教の伝道にふさわしい国だと繰り返し述べています。
また、寒さや食料の乏しさなどに苦しんだことや、当時の仏教諸派の僧侶らと対立したことなど、ザビエルの暮らしぶりなども知ることができました。
ちなみに、以下は自分自身のおさらいのために書きますが。
フランシスコ・ザビエルは1506年生まれ。
パリなどで勉強したあと、イエズス会に所属し、1542年にインド(ゴア)へ。
1547年にマラッカで日本人と会い、日本行きの決意をし、49年8月に鹿児島に上陸しました。
その後、平戸、大分、山口などに滞在し、京都や比叡山も訪れています。
1551年には日本を離れ、ゴアやマラッカを訪問したあと、中国南部の島で病気にかかり死亡したということです。
勉強になりました。
▽購入した本
*「夢見る黄金地球儀 」
海堂尊・著、東京創元社
ザビエルがマラッカで会った日本人って何してたんでしょう?そのほかにも色々な人に会ったでしょうになぜ日本??興味がわいてきました!
by 青沢東(QMY) (2008-04-27 19:12)
青沢東さま
この本では、ザビエルが会った日本人は「アンジロウ」という名前(ヤジロウとも)で、鹿児島出身だということまでは分かるのですが、詳細は不明。
日本で殺人を犯し、逃亡したとの説があるようです。
ザビエルは、マラッカやインドでいろんな人に話を聞いて、「布教に適している」と思って日本に来たそうです。
by Lionbass (2008-04-29 22:49)