「朝日」ともあろうものが。 [読書]
きょうは、このブログの目的の一つである読書についての記録です。
▼読み終わった本
*『「朝日」ともあろうものが。』
烏賀陽弘道・著、徳間書店
元社員による、朝日新聞批判の書。
著者は、私とそんなに年齢も離れていないこともあり、取材・報道の現場における「苦労」や「問題点」については、共感できる部分がかなり多いと感じました。
全体的に見ると、以下のような感じでしょうか?
・「共感、おっしゃる通り」=70〜80%
・「必要悪、どこの組織にもある程度は存在する問題」=10〜15%
・「著者のわがまま、私怨・自慢にすぎない部分」=10〜15%
一言で言えば、一般に「日本を代表する新聞」と見られている朝日新聞ですら、内部には大きな問題を抱えているのだな、というのが感想です。
(これまでの経験から、ある程度は感じたり、見聞きしてきたことではありますが…。)
われわれの年代が大学を卒業してから25年、さまざまな組織が大きな変革を迫られてきました。
メーカーなどは、かつては考えられなかった地球規模の競争にさらされてきましたし、お役所(中央省庁)や銀行など、ある意味「安定」の象徴だった組織も、もはや「安定」した存在ではなくなっています。
それらに比べ、メディアは「日本語」という障壁と、新規参入を阻む壁の存在に守られて、自己改革が必ずしも十分ではなかったということは、認めざるを得ないと思います。
メディア論については、また機会を改めて記してみたいと思います。
ところで、けさは、朝から「ミッシャ・マイスキー/チョン・ミョンフン」の演奏会と、「アバド指揮、ルツェルン祝祭管弦楽団」の演奏会を同じ時間に放送していました。
マイスキーは最初の「アルペジオーネ・ソナタ」を聴き、ルツェルン祝祭管はマーラーの交響曲第5番を聴いたのですが、できれば時間が重ならないように放送してほしいものです。(録画すればいいのですが…。)
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