「あらためて教養とは」 [読書]
▼読み終わった本
*「あらためて教養とは」
村上陽一郎・著、新潮文庫
【帯紹介】
******************************
こんな時代だからこそ、
学びなおして
みませんか。
真の知的成熟を目指す人のための「教養」入門
******************************
著者は、東大教養学部で長年教鞭を取ってきた人物。
一高出身という父親の話を交えながら、自分の体験に基づいた「教養論」を展開しています。
目次(章立て)は以下の通り。
序章 教養の原点はモラルにあり
第一章 教養教育の誕生
第二章 知の世界への扉—古典語との出会い
第三章 日本の教養のゆくえ
第四章 大正教養人の時代—知的教養主義の伝統と継承
第五章 価値の大転換—戦後民主主義で失われたもの
第六章 いま、ふたたび教養論—規矩について
終章 私を「造った」書物たち
教養のためのしてはならない百箇条
(大学などの科目としての)教養は、英語では一般に"Liberal Arts"(リベラル・アーツ=「自由な技」)と言い、元々は、ラテン語の"Artes liberales"(アルテス・リベラレス)だそうです。
「リベラル」は「自由な」という意味ですが、その意味するところは、古代ローマなどで、「奴隷」と「自由市民」がいた時代、「自由市民」が身につけるべきものだったことからきているとのこと。
実は、大学の教養学部教養学科というところを卒業しているのですが、この「語源」は初めて知りました。
そして、元々の「リベラル・アーツ」には「文法/論理/修辞学」という言語に関する3科目と、自然科学の分野の「天文学/算術/幾何学/音楽」の計7科目があるそうです。
これが、古代ローマからの「教養」だったようです。
「『知の衰退』からいかに脱出するか」の中で、大前研一氏が説く「21世紀の教養」と併せて考えると、なかなか考えさせられます。
なお、最後に、村上先生の掲げる「教養のための百箇条」を一部紹介しておきます。
「美味しいもの」とそうでないものとをはっきり区別はするが、食物についてとやかく言わない、書かない。
「卑しいもの」とそうでないものとをはっきり区別はするが、他人をそれで裁かない。
「正しい」ことをそうでないこととをはっきり区別するが、自分が正しいという主張を第一にはしない。
「美しいもの」とそうでないものとをはっきり区別はするが、その判断を他人に強制しない。
「優れたもの」とそうでないものとをはっきり区別はするが、それだけで対象を裁かない。
物事を一面だけから考えない。
自分の義務を権利を秤にかけて、権利に先に錘を乗せない。
率直が美徳とは考えない。
よその業界用語を使わない。
大袈裟な表現は使わない。
ベスト・セラーは読まない、買わない。
新聞に出る「識者」のコメントなどを読んで、妄りに憤慨しない、間違っても投書などしない。
人生訓など読まない、頼らない。
相手の退路を断たない、駄目押しをしない。
自分は皆とは違う、という気持ちを忘れない、結局は自分も皆と同じだ、という判断を忘れない。
自分とは違うものが、違うことが、あることを、忘れない。
どんなときにも含羞を忘れない。
ほんの一部ですが、お読みになった方、どう思われましたか?
▽購入した本
*"Prison Diary III : HEAVEN"
Jeffrey Archer・著、Pan Books
*「あらためて教養とは」
村上陽一郎・著、新潮文庫
【帯紹介】
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こんな時代だからこそ、
学びなおして
みませんか。
真の知的成熟を目指す人のための「教養」入門
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著者は、東大教養学部で長年教鞭を取ってきた人物。
一高出身という父親の話を交えながら、自分の体験に基づいた「教養論」を展開しています。
目次(章立て)は以下の通り。
序章 教養の原点はモラルにあり
第一章 教養教育の誕生
第二章 知の世界への扉—古典語との出会い
第三章 日本の教養のゆくえ
第四章 大正教養人の時代—知的教養主義の伝統と継承
第五章 価値の大転換—戦後民主主義で失われたもの
第六章 いま、ふたたび教養論—規矩について
終章 私を「造った」書物たち
教養のためのしてはならない百箇条
(大学などの科目としての)教養は、英語では一般に"Liberal Arts"(リベラル・アーツ=「自由な技」)と言い、元々は、ラテン語の"Artes liberales"(アルテス・リベラレス)だそうです。
「リベラル」は「自由な」という意味ですが、その意味するところは、古代ローマなどで、「奴隷」と「自由市民」がいた時代、「自由市民」が身につけるべきものだったことからきているとのこと。
実は、大学の教養学部教養学科というところを卒業しているのですが、この「語源」は初めて知りました。
そして、元々の「リベラル・アーツ」には「文法/論理/修辞学」という言語に関する3科目と、自然科学の分野の「天文学/算術/幾何学/音楽」の計7科目があるそうです。
これが、古代ローマからの「教養」だったようです。
「『知の衰退』からいかに脱出するか」の中で、大前研一氏が説く「21世紀の教養」と併せて考えると、なかなか考えさせられます。
なお、最後に、村上先生の掲げる「教養のための百箇条」を一部紹介しておきます。
「美味しいもの」とそうでないものとをはっきり区別はするが、食物についてとやかく言わない、書かない。
「卑しいもの」とそうでないものとをはっきり区別はするが、他人をそれで裁かない。
「正しい」ことをそうでないこととをはっきり区別するが、自分が正しいという主張を第一にはしない。
「美しいもの」とそうでないものとをはっきり区別はするが、その判断を他人に強制しない。
「優れたもの」とそうでないものとをはっきり区別はするが、それだけで対象を裁かない。
物事を一面だけから考えない。
自分の義務を権利を秤にかけて、権利に先に錘を乗せない。
率直が美徳とは考えない。
よその業界用語を使わない。
大袈裟な表現は使わない。
ベスト・セラーは読まない、買わない。
新聞に出る「識者」のコメントなどを読んで、妄りに憤慨しない、間違っても投書などしない。
人生訓など読まない、頼らない。
相手の退路を断たない、駄目押しをしない。
自分は皆とは違う、という気持ちを忘れない、結局は自分も皆と同じだ、という判断を忘れない。
自分とは違うものが、違うことが、あることを、忘れない。
どんなときにも含羞を忘れない。
ほんの一部ですが、お読みになった方、どう思われましたか?
▽購入した本
*"Prison Diary III : HEAVEN"
Jeffrey Archer・著、Pan Books
なになにしない、という表現を、
なになにする、と言い換えれば、
現代を象徴しているようです。
by manamana (2009-05-26 06:48)
「よその業界用語を使わない。
ベスト・セラーは読まない、買わない。
新聞に出る「識者」のコメントなどを読んで、妄りに憤慨しない、間違っても投書などしない。
人生訓など読まない、頼らない。」
↑この逆を心がけている人も世の中にはたくさんいるような・・・(笑)
「自分は皆とは違う、という気持ちを忘れない、結局は自分も皆と同じだ、という判断を忘れない」という言葉が気になりました。
by ぬれぴよこ (2009-05-26 23:41)
manamanaさま
本当にその通りですね。
「これを読め」と言いたい相手がたくさんいます。<苦笑>
by Lionbass (2009-05-31 19:07)
ぬれぴよこさま
私も、この「百箇条」をできるだけ守りたいものです。
でも、これが「人生訓」にあたらないか、ちょっと気になってます。^=^;
by Lionbass (2009-05-31 19:09)