「蔵の街」喜多方を歩く【会津・新潟<食とテツの旅>(6)】 [旅行・乗り物]
「野口英世列車と飯豊連峰【会津・新潟<食とテツの旅>(5)】」から続きます。
磐越西線の会津若松以西では1日1本だけ走っている快速列車で、11時16分ごろ喜多方駅に到着。
「蔵とラーメンの街」であることをアピールする表示が、駅のホームに掲げられています。
喜多方が蔵の街として知られるようになった理由について、ガイドブックやいくつかのウェブサイトの説明をまとめると、以下のようなことのようです。
▽水に恵まれた土地柄ゆえ、明治時代ころまで味噌や醤油の醸造が盛んで、貯蔵のための蔵が多く造られた。
▽第二次大戦後、市街地にある蔵が取り壊される例が増えたが、昭和40年代に、これを惜しんだ地元の写真家・金田実氏が蔵の写真を数多く撮り、写真展を開くなど広く紹介した。
▽昭和50年(1975年)にNHK「新日本紀行」で紹介されたことで、観光客が多く訪れるようになった。
ということで、市内を3時間ほど歩き回って撮った「蔵」の写真を一部ですがアップします。
なんでも、喜多方市内には2,600棟の蔵があるそうです。
蔵以外にも、市内にはなかなか味のある、年季の入った建物がたくさんありました。
昭和50年代くらいまでは、喜多方に限らず、日本の地方都市はどこも、多かれ少なかれこんな感じだったのではないか、と思うのですが…。
(つづく)
磐越西線の会津若松以西では1日1本だけ走っている快速列車で、11時16分ごろ喜多方駅に到着。
「蔵とラーメンの街」であることをアピールする表示が、駅のホームに掲げられています。
喜多方が蔵の街として知られるようになった理由について、ガイドブックやいくつかのウェブサイトの説明をまとめると、以下のようなことのようです。
▽水に恵まれた土地柄ゆえ、明治時代ころまで味噌や醤油の醸造が盛んで、貯蔵のための蔵が多く造られた。
▽第二次大戦後、市街地にある蔵が取り壊される例が増えたが、昭和40年代に、これを惜しんだ地元の写真家・金田実氏が蔵の写真を数多く撮り、写真展を開くなど広く紹介した。
▽昭和50年(1975年)にNHK「新日本紀行」で紹介されたことで、観光客が多く訪れるようになった。
ということで、市内を3時間ほど歩き回って撮った「蔵」の写真を一部ですがアップします。
なんでも、喜多方市内には2,600棟の蔵があるそうです。
蔵以外にも、市内にはなかなか味のある、年季の入った建物がたくさんありました。
昭和50年代くらいまでは、喜多方に限らず、日本の地方都市はどこも、多かれ少なかれこんな感じだったのではないか、と思うのですが…。
(つづく)
これだけ蔵が残っていると圧巻ですね。
by manamana (2009-06-10 08:43)
喜多方というと「ラーメン」のイメージが強くて、
蔵の町だとは知りませんでした。
by ぬれぴよこ (2009-06-11 00:26)
manamanaさま
2600軒というのを聞いて、さすがに「蔵の街」を名乗るだけのことはあるなと思いました。
川越など10軒ほどしかないらしいので…。
by Lionbass (2009-06-12 22:30)
ぬれぴよこさま
なんでも、まず「蔵」が有名になって、訪れる人が増え、それから「喜多方ラーメン」が知られるようになったそうです。
by Lionbass (2009-06-12 22:31)