誕生日にレクイエム!? [音楽・楽器]
(イギリス旅行の話はお休みです。)
きのうは私めのウン十ウン回目の誕生日でした。
普段と変わりなく仕事に行ったのですが、夜はチケットが回ってきた演奏会へ。
第25回〈東京の夏〉音楽祭2009参加公演
会場:東京オペラシティーコンサートホール
指揮:沼尻竜典
独唱:小山由美
合唱:東京混声合唱団
演奏:東京交響楽団
曲目:フランツ・ヨッヘン・ヘルフェルト作曲「レクイエム」(世界初演)
ということで、新作=世界初演の「レクイエム」を聴いてきました。
一言で言うと、いわゆる「現代音楽」です。
トロンボーン・テューバ、コントラファゴット、コントラバスクラリネットまで入ったフルオーケストラに、男性合唱20人と小山由美さん(メゾソプラノ)の独唱。
(コントラバスは6人でした。)
キリスト教を超え、人類に普遍的な「生と死」の問題、「天国と地獄」を表現しているのだとか。
プログラムに解説はあるのですが、歌詞はよく分かりませんでした。
ときどき「キリエ」だの「サンクトゥス」だの「ベネディクトゥス」だの歌っているのは分かりましたが…。
もしラジオで流れてきたら、3分で別の番組に切り替えたと思います。
でも、目の前で演奏しているので、退屈はしませんでした。
「指揮者は大変そうだな」とか「何回・何時間くらい練習したんだろう」とか・・・。
(相当な「変拍子」のようでしたし、「合唱だけ」とか「オケだけ」の部分もあり、練習が大変だったのではないか、と心配してしまいました。)
合唱は、楽器の”伴奏”がなくても音程が下がらないのはさすがだと思いました。
合唱だけでかなり長い間歌っていて、途中から楽器が入ったりする箇所が何度もあったのですが、音程がずれてませんでした。
あと、最後の方で、ソリストが出る箇所が分からなくなってました。
歌い出したものの指揮者に制止されていたのが丸分かりでしたが、何しろ「世界初演」ですから…。
誕生日にレクイエムとは、私の死が近いのか、それとも長生きするという兆しなのか…。
<以下追記>
上に「いわゆる『現代音楽』」と書きました。
要するに旋律とか和音とか調性とか、古典的な意味での「音楽的」なところがない、という程度の意味です。
クラシック音楽の歴史を見ると、モーツァルトだろうがベートーベンだろうがベルリオーズだろうがマーラーだろうが、「音楽的な常識を打ち破る」ということを繰り返してきたわけですし、登場時は「常識破り」だったストラビンスキーの曲は、まだ100年経っていませんが、いまや「常識破り」でもなんでもありません。
では、第二次大戦後の「現代音楽」が将来、「古典」として受け入れられていくのでしょうか?
きのうの「レクイエム」を聞いて、いろいろと考えさせられました。
きのうは私めのウン十ウン回目の誕生日でした。
普段と変わりなく仕事に行ったのですが、夜はチケットが回ってきた演奏会へ。
第25回〈東京の夏〉音楽祭2009参加公演
会場:東京オペラシティーコンサートホール
指揮:沼尻竜典
独唱:小山由美
合唱:東京混声合唱団
演奏:東京交響楽団
曲目:フランツ・ヨッヘン・ヘルフェルト作曲「レクイエム」(世界初演)
ということで、新作=世界初演の「レクイエム」を聴いてきました。
一言で言うと、いわゆる「現代音楽」です。
トロンボーン・テューバ、コントラファゴット、コントラバスクラリネットまで入ったフルオーケストラに、男性合唱20人と小山由美さん(メゾソプラノ)の独唱。
(コントラバスは6人でした。)
キリスト教を超え、人類に普遍的な「生と死」の問題、「天国と地獄」を表現しているのだとか。
プログラムに解説はあるのですが、歌詞はよく分かりませんでした。
ときどき「キリエ」だの「サンクトゥス」だの「ベネディクトゥス」だの歌っているのは分かりましたが…。
もしラジオで流れてきたら、3分で別の番組に切り替えたと思います。
でも、目の前で演奏しているので、退屈はしませんでした。
「指揮者は大変そうだな」とか「何回・何時間くらい練習したんだろう」とか・・・。
(相当な「変拍子」のようでしたし、「合唱だけ」とか「オケだけ」の部分もあり、練習が大変だったのではないか、と心配してしまいました。)
合唱は、楽器の”伴奏”がなくても音程が下がらないのはさすがだと思いました。
合唱だけでかなり長い間歌っていて、途中から楽器が入ったりする箇所が何度もあったのですが、音程がずれてませんでした。
あと、最後の方で、ソリストが出る箇所が分からなくなってました。
歌い出したものの指揮者に制止されていたのが丸分かりでしたが、何しろ「世界初演」ですから…。
誕生日にレクイエムとは、私の死が近いのか、それとも長生きするという兆しなのか…。
<以下追記>
上に「いわゆる『現代音楽』」と書きました。
要するに旋律とか和音とか調性とか、古典的な意味での「音楽的」なところがない、という程度の意味です。
クラシック音楽の歴史を見ると、モーツァルトだろうがベートーベンだろうがベルリオーズだろうがマーラーだろうが、「音楽的な常識を打ち破る」ということを繰り返してきたわけですし、登場時は「常識破り」だったストラビンスキーの曲は、まだ100年経っていませんが、いまや「常識破り」でもなんでもありません。
では、第二次大戦後の「現代音楽」が将来、「古典」として受け入れられていくのでしょうか?
きのうの「レクイエム」を聞いて、いろいろと考えさせられました。
2009-08-20 07:40
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コメント(2)
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「現代音楽」「変拍子」、高校の時のコンクールを思い出しました^_^;
お誕生日にレクイエムは、もちろん長生きするという兆しですよ~!
by ぬれぴよこ (2009-08-23 00:41)
ぬれぴよこさま
生きてるうちにお墓を造ると長生きするといいますからね…。^=^;
by Lionbass (2009-08-27 23:25)