HIYAMAノート誕生秘話(3) [音楽・楽器]
すっかり間が空いてしまいましたが、「HIYAMAノート誕生秘話(2) 」から続きます。
2001年に出版したコントラバス教則本、「ダブルベース[HIYAMAノート] シマンドル習得のために」刊行までの「裏話」です。
この教則本は、元NHK交響楽団首席コントラバス奏者、元武蔵野音楽大学教授の檜山薫先生が、学生の指導のためにお書きになった手書きの楽譜、通称「ノート」を元に、「弟子」たちが加筆・編集し、出版したものです。
前回までは、学生時代に手書きの「ノート」を使ってレッスンを受けていたことを紹介しました。
当時は、「青焼き」と呼ばれる湿式のコピー機を使って複写していました。
詳しくは、過去2回のエントリー↓をご覧ください。
「HIYAMAノート誕生秘話(1)」
「HIYAMAノート誕生秘話(2)」
この「ノート」の内容ですが、コントラバスの左手について、それぞれのポジション内での音程練習、ポジションを移動しての練習を、4本すべての弦で行うように書かれています。
バイオリンやピアノなどには、「機械的」「網羅的」とも言えるやり方で指(バイオリンは左手、ピアノの場合は両手)の練習を学ぶ教則本はあるのですが、コントラバスの場合、世界中で使われている「シマンドル」でも、網羅的な練習にはなっていません。
これを補うために、すべての弦、すべてのポジションについて、ある意味「機械的」な練習を行って、音程やポジション移動が身につくように檜山先生が作ったのがこの「ノート」というわけです。
以前から「何らかの形で出版したい」という願望は、「弟子」たちの間にあったのですが、なかなかチャンスがなく、ずっと「願望」にとどまっていました。
それが、実際に「出版プロジェクト」として動き出したのは、2000年に行われた大学オーケストラの「80周年記念演奏会」です。
このコンサートでは、現役のオーケストラと、OB(卒業生)によるオーケストラがそれぞれ演奏を行いました。
OBのオケにはコントラバス奏者(30代〜50代)が12人参加しました。
ここで改めて、「ノート」を出版したいという声が上がり、具体的な検討をすることになりました。
折しも、インターネット環境が充実し、一般にも常時接続が当たり前になっていました。
また、楽譜を入力するノーテーション・ソフトと呼ばれるアプリケーションも身近になっていました。
(コンピューターがない時代、楽譜を印刷するには、「職人芸が必要でした。)
そこで、場合によっては、楽譜の入力も自分たちで行い、最低でも自費出版しよう、ということでプロジェクトがスタートしました。
上記「80周年演奏会」は2000年の12月に行われたのですが、2001年の初頭からは、「檜山ノート出版委員会」という形で数人の実行部隊が動き出しました。
コアメンバーは6人だったのですが、音楽を職業にしているのは、大阪のオーケストラで首席コントラバス奏者を務める弟子のA氏、その弟子で徳島のソフトウェア会社に勤めるF氏、それに東京にいる4人の弟子(職業は商社勤務、大学の先生など)たちです。
この6人のコアメンバーのほかにも、いろんな職業のOBたちが、それぞれの「得意分野」で貢献しました。
(つづく)
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2001年に出版したコントラバス教則本、「ダブルベース[HIYAMAノート] シマンドル習得のために」刊行までの「裏話」です。
この教則本は、元NHK交響楽団首席コントラバス奏者、元武蔵野音楽大学教授の檜山薫先生が、学生の指導のためにお書きになった手書きの楽譜、通称「ノート」を元に、「弟子」たちが加筆・編集し、出版したものです。
前回までは、学生時代に手書きの「ノート」を使ってレッスンを受けていたことを紹介しました。
当時は、「青焼き」と呼ばれる湿式のコピー機を使って複写していました。
詳しくは、過去2回のエントリー↓をご覧ください。
「HIYAMAノート誕生秘話(1)」
「HIYAMAノート誕生秘話(2)」
この「ノート」の内容ですが、コントラバスの左手について、それぞれのポジション内での音程練習、ポジションを移動しての練習を、4本すべての弦で行うように書かれています。
バイオリンやピアノなどには、「機械的」「網羅的」とも言えるやり方で指(バイオリンは左手、ピアノの場合は両手)の練習を学ぶ教則本はあるのですが、コントラバスの場合、世界中で使われている「シマンドル」でも、網羅的な練習にはなっていません。
これを補うために、すべての弦、すべてのポジションについて、ある意味「機械的」な練習を行って、音程やポジション移動が身につくように檜山先生が作ったのがこの「ノート」というわけです。
以前から「何らかの形で出版したい」という願望は、「弟子」たちの間にあったのですが、なかなかチャンスがなく、ずっと「願望」にとどまっていました。
それが、実際に「出版プロジェクト」として動き出したのは、2000年に行われた大学オーケストラの「80周年記念演奏会」です。
このコンサートでは、現役のオーケストラと、OB(卒業生)によるオーケストラがそれぞれ演奏を行いました。
OBのオケにはコントラバス奏者(30代〜50代)が12人参加しました。
ここで改めて、「ノート」を出版したいという声が上がり、具体的な検討をすることになりました。
折しも、インターネット環境が充実し、一般にも常時接続が当たり前になっていました。
また、楽譜を入力するノーテーション・ソフトと呼ばれるアプリケーションも身近になっていました。
(コンピューターがない時代、楽譜を印刷するには、「職人芸が必要でした。)
そこで、場合によっては、楽譜の入力も自分たちで行い、最低でも自費出版しよう、ということでプロジェクトがスタートしました。
上記「80周年演奏会」は2000年の12月に行われたのですが、2001年の初頭からは、「檜山ノート出版委員会」という形で数人の実行部隊が動き出しました。
コアメンバーは6人だったのですが、音楽を職業にしているのは、大阪のオーケストラで首席コントラバス奏者を務める弟子のA氏、その弟子で徳島のソフトウェア会社に勤めるF氏、それに東京にいる4人の弟子(職業は商社勤務、大学の先生など)たちです。
この6人のコアメンバーのほかにも、いろんな職業のOBたちが、それぞれの「得意分野」で貢献しました。
(つづく)
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ブルーコピー!懐かしい!!
じいちゃんが建築士で、小さい頃じいちゃんの家でブルーコピーをよく見ていました。出来たては濡れていて、乾かさないといけなくて…
すみません、またしても食いつくところを間違えてしましました(笑)。
by 青沢東(QMY) (2010-05-23 22:10)
青沢東さま
なるほど、建築士の孫は会計士ですか…!!
って食いつくところが違う!?(笑)
by Lionbass (2010-05-27 17:29)