キハ47に2時間15分揺られる【会津・新潟<食とテツの旅>(8)】 [旅行・乗り物]
「”有名店”のラーメンを食べる【会津・新潟<食とテツの旅>(7)】」から続きます。
今回、新潟出張の前にどこか旅行しようということで、検討したのは以下のようなルートでした。
(1)会津若松から磐越西線で新津経由
(2)会津若松から只見線で小出経由
(3)松本から大糸線で信濃大町など通って糸魚川経由
(4)山形・新庄から陸羽西線・羽越線経由
前回書いたように、「何を食べるか」も加味し、所要時間や列車の本数などを考慮に入れながら検討した結果、(1)の磐越西線ルートに決定しました。
ということで、郡山から磐越西線で猪苗代、会津若松を回り喜多方へ。
蔵の街を歩き回り、ラーメンを食べ、喫茶店で一息入れた後、さらに木のお椀などを購入。
14:30ごろ喜多方駅に戻ってきました。
午前中に乗ったのが磐越西線の会津若松以西で1日1本だけの快速。
ということは、それ以外は各駅停車しかないということになります。
やってきたのはキハ47の2両編成。
いわゆる(気動車)新潟色に塗られています。
キハ47は1970~80年代につくられた「一般型」と呼ばれる形式で、車両正面の「顔」も、往年のディーゼルカーの雰囲気をよく残しています。
車内も、昭和・国鉄の香りが漂います。
長崎周辺は、長崎本線・佐世保線の電化までディーゼルカーの天下でしたから、このシートの感じなど、とても懐かしい思いです。
磐越西線は、阿賀川/阿賀野川(途中で名前が変わる)に沿って走ります。
先日読んだ宮脇俊三氏の「鉄道旅行のたのしみ」には次のような一節がありました。
川は交通路の母だ。
山中に入れば道路も鉄道も母に手を引かれた幼児のように川に沿う。
もし川がなかったなら、この鉄道はないのだろうな、と思いながら私は川を眺める。
ときに、くねくねと蛇行したり、崖をつくったりして鉄道敷設者を困らせるが、けっきょくは鉄道を導き、峠の下まで連れて行ってくれる。
分水嶺のトンネルの入口で鳴らす警笛は、ここまで自分を導いて痩せ細った母なる川への別れの挨拶のように聞こえる。
磐越西線は、まさに宮脇氏の書いた通りの「川に抱かれた路線」だと思いました。
途中、津川駅でまとまった時間停車。
ホームに降りて、写真を撮るのに絶好の時間です。
観光シーズンの土日に運転されるSL牽引列車「ばんえつ物語号」もこの駅に停車するので、それに合わせた表示・案内がホームにありました。
下の写真の「馬下」は、JRの「難読駅名」の1つ。
(何と読むかはあえて書かずにおきます。興味のある方は調べてみてください。)
窓際に、何やらスイッチを撤去したような跡が…。
おそらく、扇風機用のボタンがあったのではないでしょうか。
天井には扇風機を撤去したと思われる跡も残っています。
現在は、エアコンが設置され、車内の天井両側に送風のためのダクトがあります。
そうこうするうちに、通学(帰宅)の高校生の姿が車内に増え始め、喜多方から約2時間15分で新潟方面の鉄道の要衝、新津に到着しました。
(つづく)
今回、新潟出張の前にどこか旅行しようということで、検討したのは以下のようなルートでした。
(1)会津若松から磐越西線で新津経由
(2)会津若松から只見線で小出経由
(3)松本から大糸線で信濃大町など通って糸魚川経由
(4)山形・新庄から陸羽西線・羽越線経由
前回書いたように、「何を食べるか」も加味し、所要時間や列車の本数などを考慮に入れながら検討した結果、(1)の磐越西線ルートに決定しました。
ということで、郡山から磐越西線で猪苗代、会津若松を回り喜多方へ。
蔵の街を歩き回り、ラーメンを食べ、喫茶店で一息入れた後、さらに木のお椀などを購入。
14:30ごろ喜多方駅に戻ってきました。
午前中に乗ったのが磐越西線の会津若松以西で1日1本だけの快速。
ということは、それ以外は各駅停車しかないということになります。
やってきたのはキハ47の2両編成。
いわゆる(気動車)新潟色に塗られています。
キハ47は1970~80年代につくられた「一般型」と呼ばれる形式で、車両正面の「顔」も、往年のディーゼルカーの雰囲気をよく残しています。
車内も、昭和・国鉄の香りが漂います。
長崎周辺は、長崎本線・佐世保線の電化までディーゼルカーの天下でしたから、このシートの感じなど、とても懐かしい思いです。
磐越西線は、阿賀川/阿賀野川(途中で名前が変わる)に沿って走ります。
先日読んだ宮脇俊三氏の「鉄道旅行のたのしみ」には次のような一節がありました。
川は交通路の母だ。
山中に入れば道路も鉄道も母に手を引かれた幼児のように川に沿う。
もし川がなかったなら、この鉄道はないのだろうな、と思いながら私は川を眺める。
ときに、くねくねと蛇行したり、崖をつくったりして鉄道敷設者を困らせるが、けっきょくは鉄道を導き、峠の下まで連れて行ってくれる。
分水嶺のトンネルの入口で鳴らす警笛は、ここまで自分を導いて痩せ細った母なる川への別れの挨拶のように聞こえる。
磐越西線は、まさに宮脇氏の書いた通りの「川に抱かれた路線」だと思いました。
途中、津川駅でまとまった時間停車。
ホームに降りて、写真を撮るのに絶好の時間です。
観光シーズンの土日に運転されるSL牽引列車「ばんえつ物語号」もこの駅に停車するので、それに合わせた表示・案内がホームにありました。
下の写真の「馬下」は、JRの「難読駅名」の1つ。
(何と読むかはあえて書かずにおきます。興味のある方は調べてみてください。)
窓際に、何やらスイッチを撤去したような跡が…。
おそらく、扇風機用のボタンがあったのではないでしょうか。
天井には扇風機を撤去したと思われる跡も残っています。
現在は、エアコンが設置され、車内の天井両側に送風のためのダクトがあります。
そうこうするうちに、通学(帰宅)の高校生の姿が車内に増え始め、喜多方から約2時間15分で新潟方面の鉄道の要衝、新津に到着しました。
(つづく)
ぼーと景色を眺めながら、
鈍行の旅、いいですね。
by manamana (2009-06-12 23:08)
車窓から見える川と緑、とっても好きな風景です。
電車に扇風機、そういえば昔ついていましたね~
by ぬれぴよこ (2009-06-13 22:10)
manamanaさま
コメントありがとうございます。
ボーっとしている時間もあったのですが、2両編成の列車を前に行ったり後ろに行ったり、ときには外に出て写真を撮ったりしていたら、2時間はあっという間でした。
by Lionbass (2009-06-21 22:20)
ぬれぴよこさま
今度は雪の季節に行きたいと思いました。
かつて扇風機には「JNR」(日本国有鉄道)というマークが付いてました。
昔ですね・・・。
by Lionbass (2009-06-21 22:22)